一人暮らしをするということは、生活のすべてを自分でこなさなければならないということだ。朝ごはんは自分で用意しなければならないし、用意したご飯を一人で食べなければいけない。

デザグラに参加する前と比較して家族仲は頗る良好になったものの、ひとまず成人としての区切りを迎えた祢音の目標は自立した大人となることだった。そのためには親とは別に暮らす時間も必要になると借りたマンションで目覚めて、ベッドに寝ころんだまま祢音は言いようのない孤独感にぼーっと浸っていた。ここで暮らし始めてしばらく経つが、当初は慌ただしさに追われて考える暇もなかったのだろう。初めての感覚だった。

「そうだ!」

思い切って起き上がる。今日は朝ごはんを作る手順をスキップして外で食べてしまおう。そう決めてしまえば即行動だ。顔を洗って、歯を磨いて、軽くメイクして、髪の毛をセットする。服を選びながらこれで一本GRWM動画が撮れたななんて一瞬浮かんで、その後の目論見を考えるとしなくてよかったと思い直した。

秋の気配はまだまだ遠く、午前中の早い時間でも日差しが強い。持ち手に猫のチャームが付いたお気に入りの日傘を指してモーニングが評判の喫茶店を目指す。朝の住宅街は人もまばらで穏やかだ。どこか遠くで鳴く猫の声が祢音の耳をくすぐった。

信号待ちに地面に落ちた日傘の影を見ていると隣に誰かが立っていた。日傘を傾けて目線を上げれば思い浮かべていた顔がそこにある。なんとなく、一人を寂しがった祢音の為に神様が来てくれるような気がしていたから。

「おはよう、英寿」 「おはよう。一人で気ままに外食なんてのも一人暮らしの醍醐味だと思うが」 「んー、でも今日は誰かと食べたい気分だったから」 「だろうな。エスコートさせてもらおう」 「ありがとう!」

祢音の手から恭しく日傘を受け取った英寿が傘を差し掛けてくれる。英寿の大きな手の近くで揺れているチャームは、自分の手元にある時とはずいぶん違って小さくかわいく見えた。

目当てのモーニングはフレンチトーストと紅茶のセットだった。ちょうどよく焦げたトーストの上ではちみつがつややかに光っている。向かい側に座った英寿はコーヒーに口をつけていた。紅茶の柔らかい香りとコーヒーの香ばしいにおいが机の上で混じって、一人の食卓ではないことを実感する。

「ねえ、他のみんなに会いに行ったりした?」 「この間はバッファとラーメンを食べた」 「いいなあ、私も行きたい」

祢音たちの神様は割と気軽に会いに来てくれるようだ。道長とは昨日軽くメッセージのやりとりはしたが、英寿と食事したことは聞いていなかった。わざわざ話すほどのことでもなかったのだろうか?景和だったら話してくれたかもしれない。祢音は自分だったら絶対言うのにな、と思いながら紅茶を一口飲み下した。

「深夜にしか出てない屋台だぞ」 「たまにはいいの」

恐らく祢音を慮っただろう英寿の声に少しむくれると、英寿が軽く悪いなと零して微笑んだ。

「景和はいま試験勉強してるから無理かな。合格祝いに行くとか!」 「いいんじゃないか」

祢音の提案に英寿がのってくる。深夜に友達とラーメンなんて、自由な一人暮らしじゃないと絶対にとれない選択だ。こういう楽しみ方を一つずつ見つけていくことも、これからの祢音の生活に必要なものなんだろう。齧ったフレンチトーストのカリカリした硬い表面の下にじゅわっと甘い生地がある。祢音はことさらそれをゆっくり噛み締めた。

(初稿:2024-10-11)