肌寒さを感じてふと手が止まり、大智は椅子の背もたれにかけていた上着を羽織った。換気のために開け放していた窓から冷たい風が吹き込んでいる。
延々と続いていた陽気が急速になりを潜め、ここ数日は日中の気温が下がり始めている。時刻はそろそろ午後3時だ。しばらくすれば隣室で寝ている春樹が起きだしてくるのでおやつにちょうどいい時間だった。そして、何か確たる約束をしているわけではないが、そろそろ来そうだという予感がある。この間ふらりと現れたときの姿を思い浮かべると、ふわ、と甘い匂いが鼻腔を擽ったような気がした。道長が仕事に出ている昼間は春樹をこの研究所で預かることが増えてから、時折”視察”に来る神様が子供も好むお菓子を土産に持ってくるようになったのはいつ頃だったか。この前持ってきてくれた土産はたしかどら焼きだったはずだ。その前は羊羹だったので神様としては和風のおやつがブームなのかもしれない。ただお菓子系が続くのも面白みがないし、急激に冷え込んだ気温にふさわしく季節を感じさせてくれるものがいい。春樹の食育という観点からも好ましいだろう。
「つまり、今日のおやつは石焼き芋だね」
考察の末に大智が独り言を零したのとほぼ同時に、机のごく限られたフリースペースに紙袋が着地する。いつの間にか隣に立っていた神様――英寿がニヤリといった笑みを浮かべて大智を見下ろしていた。
「正解だ」 「何か景品はあるかな?」 「今度来るときの土産はお前の好物にするか。何がいい、ナッジスパロウ?」 「ちょっと考えさせてほしいな。春樹がいつも楽しみにしているから、あの子も食べられるものがいい」
机の上に散らばった資料を粗雑に片付けると、ジャケットの内側に手を突っ込んだ英寿が缶コーヒーを2本取り出した。かと思うとさらにもう一度ジャケットの内側に手を入れて今度はオレンジジュースやサイダーの缶、紅茶と麦茶のペットボトルまで取り出してくる。どこにそんなに入れていたのだろう?きっと何でもできるだろう創世の力をまるで手品みたいに扱うあたり、浮世英寿という人物はどうにも人を化かすということにかなりの楽しみを感じているらしい。
「春樹は?」 「今日は昼寝に入るのが遅かったから、あと30分は寝ているかな」 「じゃあ先に食べてるか。好きなのを選べ」 「ああ、遠慮なく」
大智は居並ぶ飲み物の中から紅茶のペットボトルを手に取った。ぱき、と蓋を開けてフリーになった手に英寿が紙袋から焼き芋を取り出して渡してくる。素手で持つには少々熱いくらいのそれを半分に割る。焼けた皮の香ばしい匂いと身のやわらかな甘い匂いがふわっと大智の鼻をくすぐった。大智より一拍早く英寿が焼き芋を頬張っている。手にしているのはブラックの缶コーヒーだ。
探るような視線がある。もちろんこの場には大智以外には英寿しかいないので、視線は英寿のものだ。敵意は感じられない。何のことはない、英寿は最近大智の食の好みを探るのを楽しんでいるようなのだ。先ほどはずいぶんストレートに聞かれて驚いたが、あのように不意を突けばポロリと零すと狙ってのことかもしれない。
つやっと光るとした焼きいもの身を頬張る。ほくほくとした甘さが体を温めていくのを感じた。本当の幸せというのは、つまらない人生にも転がってるものだ。デザイアグランプリを通して大智が得た教訓を思い起こさせるような温かさがある。
「次のお土産は」 「ん?」 「ドーナツがいいな。最近の春樹は僕の眼鏡がお気に入りのようだから」
指で輪っかを作って英寿を覗き込む。狭まった視界の中で神様が破顔した。
(初稿:2024-11-18)