長ネギを袋の隙間に差し込むと、まるでパズルの最後のピースがはまったような達成感が沙羅を満たした。残された今日の沙羅のミッションはいろんなものを詰め込んだこの買い物袋を持ち帰り、冷蔵庫やパントリーの定位置に買った物を配置することだけだ。ご飯を作るのは景和と一緒にやると約束している。その「だけ」が結構な手間であることを思い出して、気合を入れてサッカー台から袋を持ち上げる。スーパーから出ると風が吹きつけてきて、冬の寒さが身に沁みた。

ようやく自分の進路を定めた弟が――景和が、めでたく警察官の採用試験を突破した。沙羅が奮発してごちそうを買って祝ったり、景和自身も友達にささやかな祝賀会を開いてもらったりしてひとしきり喜びを分かち合ったのち、桜井家に一つの問題が浮上してきた。  警察官として採用されると、半年ほど警察学校で訓練を受けなければならない。そして警察学校は全寮制で、自宅から通うことはできない。つまり、その間の桜井家は沙羅の一人暮らしということになる。その事実を改めて確認した後、以前に景和が数週間家を空けた時のちょっとした惨状が姉弟の脳裏を過った。別に沙羅だってもう立派な大人で、一人暮らしくらいやればできる筈である。でも快適に過ごせるに越したことはない。そもそも景和が就職してしまえば以前と同じくらいの時間を家事に使うのも難しくなる。ということで、いままで景和がこなしてきた家事のノウハウを沙羅も身に着けていこうということになったのだ。弟が採用試験を頑張ったのだから、姉も何かしら努力しなくては示しがつかない。  景和が働き出してから家をどうするのか、についてはまだ詳細を決めていない。ただ、両親を亡くしてからずっと2人で暮らしてきた弟の背後にある巣立ちの予感が、少しだけ寂しい。

家までのショートカットに通りがかった公園には、たい焼きの移動販売をしてるキッチンカーが停まっていた。おやつ時の胃を刺激する甘いにおいが鼻をかすめて、沙羅は思わず立ち止まる。かわいらしいメニュー黒板にはつぶあん、こしあん、カスタード……、とまた食欲をくすぐる名前が並び立てられていた。

「つぶあんとこしあんだとどっちがいい?」 「うーん、つぶあんかなあ……」

背後から投げかられた問に軽い調子で応える。聞き覚えのある声に沙羅が振り返ると、いつの間にかそこに英寿が立っていた。冬の寒さで鼻を赤くした沙羅とは対照的に、涼しい顔で立っている大スターの姿はなんだか非現実的だ。久しぶりに見ても英寿様ってかっこいいなあなんて思考があらぬ方向へ飛び去ってしまいそうになる。ちょっと待って、急に声を掛けられて振り返ったら英寿様が居た?

「え、英寿様が!?」

事実を再認識した沙羅の大きな声が冬晴れの空に大きく響く。まばらに歩いてる人の視線が集まってきたため、英寿は人差し指を唇の前に立てて「しーっ」と沙羅の二の句を制した。その指をベンチに向けて座っててくれとでも言いたげに示してウインクをした後、キッチンカーへすたすたと歩いていく。きれいに背筋の通ったその背中を、沙羅はぼうっと眺めるままになってしまった。

「えと、英寿様……」 「もうスターじゃないんだ、かしこまらずに気楽に接してくれ」

英寿は沙羅の言葉通りにつぶあんのたい焼きを買ってきてくれて、2人で一緒にベンチに腰掛けて頬張った。お礼と一緒にお金を払おうとしたのに、狐につままれたみたいにさらっと流されてしまった上に景和の分だと一個おまけを持たせてくれて、カフェオレまでごちそうになってしまった。たい焼きと一緒に口にした温い甘さが、寒空の下を歩いてきた沙羅を包んでくれる。

「でも神様、なんだよね?」 「今会える、親しみやすい神様を目指してる」 「ん~……じゃあ英寿くんって呼んじゃおうかな?景和の友達だし!」

沙羅の言葉に英寿は少しだけ驚いたように目を丸くしてから、どこか懐かしそうな顔をした。優しげに目を細める顔に親近感が湧き上がってくる。たい焼きの皮の下のあんこみたいなほかほかとした素朴な温かさがある表情は、記憶の中のスターの顔とは全然印象が違っていた。それこそまさに、弟の友達と話してるみたいな。

「んふふ、英寿くん、英寿くん」 「なんだ?」 「祝賀会楽しかった?景和は楽しかったって言ってたよ」 「ああ、もちろん」 「そっかあ」

これから先のことはどうなるかまだ分からないけれど、なんとなく大丈夫かなという気持ちになってきて、沙羅は自分の現金さにちょっと笑いたくなってきた。でも、景和も沙羅も元気で、友達もいて、仲良く楽しく暮らせるのが一番大事で、現状それは全く何の問題もないのだ。残ったたい焼きひとかじりで飲み込んで空を見上げる。なんだか寂しいなと感じていた冬の空が、澄み渡って綺麗なものに感じられるようになって、不思議な心持ちだった。

(初稿:2025-01-05)